昨年、アンデシュ・ハンセンの「運動脳」を読み、現代人といえども脳のつくりは狩猟採集をしていた縄文人と同じ脳である、そんなに簡単に脳は変化できないのだ、ということを知った。

20万年前に人間がアフリカに出現して以来の一世代を一ドットにしてある。
1世代は30年なので、明治100年として、たったのドット3つ分。
スマホが発売されたのは1994年、ドット1つにもならない。
弥生時代に農耕が始まったとしてドット60個分。残りのドット全部が狩猟採集で生き延びてきた。
その時の脳で今も生きているというわけです。
長い長い時代、人間は食べるものを手に入れるために動き回り、走り回わらなくてはならなかった。それで長いことかかけて脳の中で動くことが喜びに繋がるシステムを作り上げた。
だから、現代人が抱えている精神的なストレスは運動で解消されることを、様々な研究結果もとに紐解いてくれた本でした。
今回の「スマホ脳」は脳は縄文人のままの人間がスマホを使うとどうなるか、、という本でした。

今回、人間が喜びを感じるように脳で作られたシステムを利用して、スマホは作られている怖さを感じた。
スマホが手放せなくなって成績が落ちてしまう子どもも問題になている。
私はスマホが手放せないという中毒症状はないけれど、スマホに今やっていることを、中断されることはよくある。
集中力が落ちている気はする。ちょっと、飽きると手が伸びる。そして、しばし、ネットの中をうろうろしてしまう。
スマホに行けば面白いことがいっぱいあることが分かっているからだ。
なにしろ、購買欲をそそるように、ドーパミンが出る時間まで巧妙に計算されて、ポチっと押したくなるように作られているのだそうだ。
スマホが出てきて辞書代わりにネット検索をし始めた時、なんでこういうことが無料なのだろうといぶかったが、それはネット世界に連れていくにんじんでもあったんだと、今になって分かったのである。。。