毎週治療に行っていた叔父が介護施設に入ったのですが、その後の呆け方があまりにも急激だったので、この本を思い出しました。

1990年出版の本、教師現役の時だったので、タイトルに衝撃を受け、すぐ、読みました。
内容は介護現場の実情で、教師がなぜ呆けるのかが書いてあるのは 2ページくらいでしたが、心に残ってました。
子どもはどんな時も右肩上がりの成長をしていきます。
そういう子どもと接している教師は 成長するのがよいことで、成長しないのはだめなことだと思っている人が多い、と著者は書いています。
要するに教師は 呆けていくだめな自分を受け入れられないので呆けに逃げてしまうのだというのです。
今回 施設に入った叔父の呆け方の速さに そのことを思い出しました。
入って2週間くらいたった時、治療に行ったら、何にもすることないから、なんだかいろいろ忘れていく・・・、年を取るのも辛い、と珍しくこぼしていました。
次の週はもう、泣き言も言わず 穏やかな顔になっていたけど、もう、奥さんの顔が思い出せないよと、たんたんといいます。
施設に入ると刺激がないので、ボケが進むと言いますが 、それだけではないと思いました。
たくさんの他人に中に入ると 他人の痴呆の様子が見えます。
それで、自分の痴呆も見えてしまう辛さなどが さらにボケを加速したのだと思ったのです。
昔読んだ本の内容がリアルに分かったのでした。
ボケが困るのは 徘徊、暴力とセットになったときで、叔父の様子を見ていると、こういうのもいいかな~と思います。
野生動物ならとっくに死んでる叔父ですが、ボケても生きていられる人間社会って、すごいです。
お金がある、ないではなくて いろいろな死に方が選べるのが、豊かな社会だと思う。
もちろんすぐには難しいけれど、、、。
死に方と生き方はセットだから、生き方が変わると死に方も変わっていく。