
(ヒガンバナ きっちり、お彼岸に合わせて咲いていた花なのに、この天候不良のせいか、もう、たくさん咲いています。)
敬老の日。
後期高齢者には 市などからクッキー(武蔵野市)紅白まんじゅう(西東京市)がお祝いにくばられるそうですが、成人の日に比べて、敬老の日って、分かりにくい日ですね~~。
私は 個人的に <老後と死を考える日>にしてみました。
私が今まで触れた死ぬ準備で とっても感動したのは こんな話。
おじいさんが庭でお茶碗を割っているので、息子がどうしたのかと聞くと、「もうすぐ俺は死ぬから、茶碗はいらない」といった・・というくだりです。
そのあと、そのおじいさんがどのようになられたのか、定かではありませんが、私もそういう自分の体を感じる力を持っていたいと思うのです。
どうも、食べられなくなって、枯れるように亡くなるのが一番楽らしいです。
食べたいということは 生きたいと同義語だと思います。
よく早くお迎えが来てほしい言わせるのは大脳皮質の前頭葉で、奥深くの生命をつかさどる脳は最後までそんなことは言わないでしょう。
生きるためにセットされていますから。
だから、頑張って死ぬのは無理でしょうね。
食を断って死のうと思って頑張って、死ねなかったという本がでているくらいですから(笑)
五木寛之さんは 「歩けなくなったら、僕は死にます」とある本に書かれていましたが、最後のイメージをどのようにを考えていらっしゃるのだろうと興味がわきました。
その昔 西行が「願わくば 桜の本にて、春死なん・・」とありますが、これから、敬老の日は 少し近づく死の迎え方を考える日にしようかな。
今日もお付き合いくださいまして、ありがとうございました。