友人のお母様が92歳で亡くなられた。
高校時代の同級生が腎臓が悪くなって、透析のための手首の血管の手術をして、さあ、透析しながら働くぞと言っていたのに突然逝った。
幼馴染で、私より若いのに、腰が痛いから検査入院しています、とメールをもらった数日後、原因不明のまま亡くなった。
癌で闘病していたフェルデンクライスの友人がホスピスにに入院した。先日行った時はもう、私が足を触っても手を触っても目を覚まさない。そして2日後に亡くなった。
近所の自転車さんのおじさんが94歳で亡くなった。
続けて訃報が舞い込んで、さすがにブログを書く気もちになれなかった。
何も変わらず日は流れてたけれどまだ、、やっぱり、私にはまだ、重たい。
そんな年回りになったのだと言えばそういうことなのだけれど、
今まで、この地球で一緒に空気を吸って吐いていた人が居なくなることの不思議さに戸惑い、、友人の時はさすがに数日間は思い出すたびに泣いていた。
だが、しかし、、、淡々と日は流れて、ただ、その人が居なくなっただけで、何も変わらず日は流れていく。
逝く人が最後にくださるもの。
それぞれの「死」の在り方。
死というものがどういうことなのか、少しずつ教えてくれる。
死が身近になってくる。
私は100歳まで生きたい人間なのだが、
先日、高齢者施設に入った92歳の方のところに遊びに行ったら、とても元気になっていて、「よかったね~」と言っ「これでまた、死ねなくなった」と苦笑いされていた。
篠田桃紅の「死ねないのも楽じゃない」といタイトルの本もある。
こんなタイミングで出会った本。西加奈子さんはコロナの真っ最中、40代で乳癌になった。しかもカナダで。
