
姫リンゴ。可憐としか言いようのない趣き。
みんないろいろあって、みんないい。

私は四季バラと呼んでいる。
50年前の私
というタイトルを打ち込んで、思い浮かんだのは
<マンモスの生きていた時代は400万年前から1万年前頃に生息していた大型哺乳類>というフレーズ。
ほとんど同じくらいの遥かかなた〜という気分になりました。
先日、友人宅で、昔の写真を見せてもらいました。年が行ってから出来た友人なので、若い頃を知りません。
だから、50年も経つと同じ人とは思えないほど、変わるものだと思ったのです。
自分について言えば、時々は自分の写真を見たりして、これは私!とわかるけれど、他人が見たら きっとわからないと思う。
そこで、思いました。
50年も大昔の自分と、今の自分は別人なのだと思う方がいいのではないかと、、、、。
分子生物学に言ったら、細胞は全て入れ替わっているのだから 別人です。
生き方の達人が時々言ってます。<過去は見ないのです。前を見るのです>
そうは言っても、
過去の失敗をどう清算するのか、どう乗り越えるのか、というのが、私の中の生き方の基調低音のようなところがありました。
でも、50年も大昔の私は別人なのだという清算の仕方もいいかもしれない、、と ふと、思いました。
40年前も30年前も20年前も、その時その時を精一杯生きて、もちろん失敗し、そして失敗から学んで、新しい自分が生まれてきた!
ということです。
蛹から蝶のように変わるわけではないけれど、新しい自分の前の昨日の自分は別人です。
私がレッスンの時によくいう言葉を思い出しました。
<脳はいらないものはデリートして良いものを残すように出来ているのです。>